しゃべる文字盤のつくりかた
1 はじめに
イギリスの高名な理論物理学者であるホーキング博士が講演や著述に際して特殊な道具を駆使している姿がマスコミで報じられたのは、たしか1990年ころでした。そのころ博士の著書が世界的なベストセラーになり、ゆくゆくはノーベル賞か?などと噂されていました。その道具はかの国の技術者が結集し、博士専用の道具として開発、製作された(文末訂正参照)と聞きましたが、やはり特別な人物には特別の配慮がなされるものかと思っていました。これがコミュニケーションエイドとの初めての出会いでした。そのころALSをはじめとする難病やその患者について一般にはあまり知られていませんでした。かく言う私も全然知りませんでした。この報道に接し、このような厳しい状況におかれた人がいること、それでも前向きに活動する生き方があること、そしてその人を支える数々の道具が存在することに深い感銘を受けたことを覚えています。
次の驚きは意外に早く来ました。1997年に伝の心が発表され、有名人でも金持ちでもない普通の人でも必要とあればホーキング博士と同様の道具を手に入れて使うことが日本でできるようになりました。これは別の意味で喜ばしいできごとで、伝の心はALSと並んで新しいキーワードになりました。発表後当院も伝の心を購入し試用や運用を開始しました。また相前後して県内市町村の福祉窓口担当者から次々と『伝の心とは何か?』と問い合わせの電話がよせられ、これを電話で説明するという不思議な苦労をした思い出があります。
当時はちょうどパソコンなど情報技術が日常生活に入りはじめた時期で大きな期待感もありました。またバブル後とはいえ経済がまだ好調で、さらに企業の社会貢献が広がりを見せた時期にもあたりました。今から思えば伝の心はいいタイミングで世の中に出たとも言えます。
あれからもう四半世紀が過ぎようとしています。
多くの人々の努力によって、今ではコミュニケーションエイドはずいぶん広く知られるようになり各地で使われています。またマスコミ報道のおかげで、これを見て驚く人も少なくなり、また初めての人へ説明する際もずいぶん苦労が少なくなりました。Windows95以降パソコン利用者は増え、小学校でも地域でもパソコンを教え、学習する機会が増えました。そしていつの間にかパソコンはごくありふれた普通の道具のひとつになりました。またこの間に携帯電話やスマホが普及し、通勤電車内の風景が一変しました。またインターネットによりコミュニケーションという言葉の意味もかたちも大きく変化しました。
かつて声と文字の不自由を軽減するためにコミュニケーションエイドは開発されました。 しかし今では、これに加えてパソコンや携帯電話が使えない不自由も無視できなくなっています。 このようにコミュニケーションに関する不自由も、そしてコミュニケーションエイドに期待される役割も時代や生活のありかたと共に変化しています。このようなユーザニーズの変化にコミュニケーションエイドは対応できているでしょうか。
『この人のやりたいことはこれじゃないんだけどなあ。』
また、携帯電話やスマホ利用の際のトラブルやマナーの議論が今も少なくありません。このことから新しい方法や道具を使った生活スタイルが関係者に認められ、生活に定着し、社会に根付くのは容易ではないことがわかります。
実はごく初期からコミュニケーションエイドのユーザのこれと同じ事に取り組んでいると考えています。 まず第一段階として、新しい道具を使い、コミュニケーションとそれまでの人間関係を復旧し、まず生活の立て直しに取り組みます。そのうえで第二段階として、他の病気の人と同じく病気や怪我など直面する困難な問題に向き合うことになります。多くは上の例のように、第一段階の立て直しののち第二段階の活用へと、それぞれにご苦労しながら進まれます。しかしなかには、第一段階の道具の使用方法の習得、生活への定着、生活の改善するところまでたどり着けていない人も多く、使いこなしに関して支援や工夫が非常に少ないことに気づかされます。
『この人にこの道具は荷が重いんだよなあ。』
多様なユーザが多様なニーズを抱えて生活していますが、現状の道具ややり方でこれらに十分対応できているのでしょうか。
言葉が話せてもコミュニケーションできないことがあります。 またコミュニケーションエイドがあれば問題が解決するわけでもありません。しかし道具としてのコミュニケーションエイドには解決すべき課題や果たすべき役割がまだまだあるとおもいます。
もともとコミュニケーションは生活に密着した社会的、知的言語活動と考えられます。 そのため、性別や年齢をはじめその人の個性や特徴、話題や場面、話の相手や人数、そしてその会話の目的によって、時に個人的な時に社会的な、さまざまな種類のさまざまな長さの言葉が取り交わされることになります。そしてそのひとつひとつがその人らしさ、その集団らしさを個性豊かに表現しています。
病気や怪我でその人とその家族がなくしてしまったもの、そしてコミュニケーションエイドで取り戻そうとしているものは、このように多種多様で個人差の大きなものであることに注意する必要があります。さまざまな理由で不自由になった日常生活動作を、できるだけ自分自身でできるように工夫された道具があります。これらは総称して自助具と呼ばれています。自助具には市販され商品として購入できるものもありますが、使う人の身体状況や生活状況、能力や好みに合わせて自作することもよくあります。コミュニケーションエイドも自助具のように使う人に合わせて作ることができたら、この問題の解決にいくらかでも役に立てるのではないかと考えてきました。
また、医療や福祉の場面ではコミュニケーションエイドに取り組むに際して、試用や練習用の機材が準備できない、レンタルできても期間が短いといった問題もあります。またコミュニケーションエイド指導やサポートの担い手も不足しています。その原因のひとつが機材不足と考えられ、この解決を目的にして、『しゃべる文字盤』を作りはじめました。
最近、改造や自作の相談がいくつか寄せられるようになりました。時代も道具も変化したように人も変わっているのでしょう。このように何人かが取り組んでいるからには、考えている人や迷っている人や様子を見ている人はもっといるでしょう。そしてこの人達を手助けすれば、もっと多くの患者さんを助けることにつながると思い、この一連の文章をつくることにしました。いよいよコミュニケーションエイドも自助具になれるか?
もの作りをしながら、作ったものと使う人のことをこれからを考えていきたいと思います。
訂正 ホーキング博士の著書、『ホーキング、宇宙を語る ビッグバンからブラックホールまで』(林一訳、早川書房、1989年、p9)にこの件に関する以下の記述がありました。
私は1985年に肺炎にかかった。気管切開手術をするはめになり、話をする能力を奪われて、意思伝達がほとんど不可能になったのだった。この本を完成するのは不可能ではないかとさえ思った。しかし、ブライアンは私は原稿に手を入れるのを手伝ってくれたばかりでなく、<リビング・センター>と呼ばれるプログラムを私が使えるようにしてくれた。このプログラムは、カリフォルニア州サニーヴェイルのワーズプラス社のウォルト・ウォルトーズ氏から贈られたものである。私はこれを用いて本や論文を書けるようになり、また、やはりサニーヴェイルにあるスピーチプラス社から贈られた音声合成装置を用いて人と話ができるようになった。デーヴィット・メイスンはこのシンセサイザーと小型コンピューターを車椅子に取り付けてくれた。このシステムのおかげで事態がすっかり変わった。実際、私は声を失う前よりもずっとよく、意思の伝達ができるようになったのである。
本文の記述は記憶違いであることはまちがいないようですので、訂正いたします。(2014年7月3日)
2014/7/3 訂正文追記
2014/5/8 公開研究企画課リハ工学科にもどる