経営者の苦労は計り知れません
私がリハビリ病院の仕事に変わってから早いものでもう30年が過ぎました。仕事を変わるということはある意味で違う世界や文化に移り住むことで、はじめの頃はいろいろ驚きや疑問も有りました。
いま思うとその当時のその驚きや疑問を持ち続けてそれらをなんとかしようと取り組んだ(悪あがきをしたとも言えます)からこの仕事を長く続けることができたように思います。
今回はまだまだ続くふたつの課題について説明しようと思います。よろしくお願いします。
昔、私がまだ若く、洗浄機能付き補高便座といったものを作ったときのことです。部品の製作をあるプラスチックの会社にお願いすることになり、その打ち合わせのため工場に伺いました。すると工場の敷地の一角にいかにも場違いな福祉用具ショップが営業していました。
そこは繁華街から遠く交通も不便なため、地元の人のために社長さんが開店したのだそうです。なかなかいい話ではあるのですがこのショップの経営は決して楽ではないそうです。できるだけがんばって続けるとしてもやがてはなくなってしまうでしょう。 このような熱意や善意を活かして長く続けるにはどうしたらいいのでしょうか?
ご存知のようにビジネスの基本は売り買いです。そのための店舗や事務所や倉庫などのほか人手も必要です。これらにかかる費用を上回るもうけがあればよいのですが、赤字が続くと継続できなくなります。
もうけは商品の仕入れと販売の価格の差になります。もうけを増やすためには安く仕入れて高く売るのが基本です。もしもうけが小さくても、たくさん売れればもうけは大きくなります。そのため高い値段でたくさん売ろうとどなたも頑張るわけです。そして多くの人が欲しがる品物を、多くの人が集まる場所で売ろうとします。この結果たくさんの人が集まる場所にはお店が集まるのです。
ところが人口が少ない地方では、お客が少ないのでたくさん売れません。お金をかけてお店を立派にしたり、宣伝したり、スタッフを増やしても利益をあげるのはむつかしくなります。
これと同じように、福祉機器のようにニーズが小さい商品も売れる数はそれほど多くなりません。このビジネスも利益を上げて継続するのは簡単ではありません。このような理由で、その福祉機器がなくては困る人がいるのに、つまりニーズがあるのに、その会社の経営が難しくなると生産中止や販売中止になるといった出来事が時々起きるのです。
さてこのようなビジネスをなんとか維持し継続するにはどうしたらいいでしょう。これも『神の見えざる手』(経済の人たちがよく使う言葉ですが、元はアダム・スミスの国富論にあるそうです)だとしたら一体どうしたら神様に『手加減』してもらえるのでしょうか?(罰当りですみません。何しろ技術系なもので) やっぱりいなかではだめで都会に行くしかないのでしょうか? やっぱり少数の人向け商品はうまくいかないのでしょうか?
豊富な品ぞろえは命です
コミュニケーションが不自由な方やご家族にいろいろな道具や方法を紹介してお手伝いをしてきました。しかしそれでうまくいく人もいましたが、うまくいかない人も少なくありませんでした。
その後『コミュニケーションが不自由』という人に何人かお会いしてよくよく話を聞いてみました。すると何がどのくらい不自由か、どんな風に不便か、そしてどんな具合になりたいのかにはおひとりおひとりで随分ちがいがあることに気が付きました。 またその不自由をなんとかするためにどのくらい頑張れるか。これもまたおひとりおひとりで随分ちがいがあるのです。
『十人十色』とは何につけてもよく言いますが、コミュニケーションでは、同じ人でも相手や場面により『スタイルや言葉使い』を使い分けることがよくあります。慎重な言葉を選びながらきちんと話をする場合と、家族や仲間とうちとけた話をする場合では、使うことばも流れも違ってきます。このためコミュニケーションは、ある道具や方法で全部OKとはいかないものです。これを私は『十人百色』と呼んでいます。
例えば50音文字盤なら広い用途に使えるのですが、使いこなすにはかなり頑張りが必要です。しかし頑張りきれない人が少なくありません。(かなり多いとも言えます)
このような事情がありますので、コミュニケーション支援には予めかなりたくさんの種類の道具や方法を準備しておかないとすぐに行き詰まります。
この文をお読みになっている方のなかにも、あれを試してもだめ、これを試してもだめ、それを試したらうまく行ったのに、気に入らなくてだめ、などといったつらい経験をされた方がいると思います。しかし患者さんご本人やご家族もかなりつらいのがわかりますのでこれはなんとかならないか、なんとかできないかと悩ましいわけです。
また医療や福祉の人々は、とかく業務遂行のためのコミュニケーションが可能かに関心が集まりがちです。このためコミュニケーションが一定レベルをクリアするとそれ以降の関心は少なくなる傾向があります。これはとても残念な合理的判断のひとつと言えます。
一方でご本人やご家族は生活の場面でより豊かさを実感できるコミュニケーションの実現に関心を持たれます。しかし初めは疾患や治療や福祉制度の状況もよくわからず、先の展望もつかめずにただ不安なまま時間が過ぎます。そして徐々に生活が落ち着くとともに少しづつ生活の不便さ見えるようになるにつれ、徐々に多様なニーズが現れるのがよくあるパターンです。
このように、ユーザニーズが形作られるには随分時間がかかり、中には在宅生活でようやく不便が見えてくることも有ります。しかしその場合でも、衣食住のニーズが優先され、コミュニケーションに関するニーズは後回しになりがちです。
この違いに気づかず不用意にてきぱき進めるととんだ見当違いが起きることもありますので、「コミュニケーションが不自由」と同じ言葉を使っている人々の思いには違いがあることには気をつけたいものです。
ただ同じ病気で類似の不自由がある場合はニーズもいくらか似ているのですが、それでも求めるものはひとりひとり随分違います。自分だったらどうかと考えれば、コミュニケーションは個人差があるのがあたりまえとおわかりになるでしょう。
『(読み上げの)声はいらない、その代わりメールを使いたい。』
『タイミングよく相槌を打ちたい。』
『どうしてもパソコンを使いたい。LINEがしたい。』
『コミュニケーションよりもゲームをやりたい』
(この人にとってゲームはコミュニケーションより大切なのでしょう)
かつて『伝の心』と『レッツチャット』で一応仕事になった時代はもう昔話のようです。現代では『コミュニケーション』の意味も内容もかなり違ってきているように思います。
さらにこどもさんでは発達の問題もあります。小学校一年生のコミュニケーションが三年生ではもう物足りなくなります。 本来ならコミュニケーション支援も小学校の教科書ほどたくさんの種類が必要な上、さらに個別対応がこれにこれに加わります。 こう考えると、おとなの場合よりもたくさん種類が必要ではないかと思われます。
しかし一体どうしたらそんなことが実現できるのでしょうか?
ふたつの課題をまとめてみましょう。
課題1、これは『赤字を出さない方法』です。長年多くの人が頭を絞ってきた課題です。だからそう簡単に見つかるはずもありません。このためこの課題は長く保留されてほとんど忘れかけていました。
課題2、こちらもかなりの難問です。大量生産がうまくいったのに多品種少量生産で失敗することはよくあります。まるで別物です。 伝の心やレッツチャットのような考え方では、課題1を回避できそうもありません。しかし技術的な工夫でなんとかできるかもしれません。そんなことでこちらの課題から取り組み(悪あがきとも言います)を始めることになりました。
次回は、これらの取り組みについてお話していきたいと思います。
2024/02/09 公開
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